AIエージェントが登場しても、LLMの「賢さ」そのものは変わっていない。変わったのは、LLMの出力を現実世界の動作へつなぐ配線の数だけだ。
電卓の出力に、手足をつないだだけ
いま、AIエージェントという言葉があらゆる場所で踊っている。しかし心臓部は、従来と同じLLMのままだ。
AIエージェントと呼ばれる仕組みは、LLM(大規模言語モデル)の出力に、現実世界へ作用する装置——APIやコネクター——を継ぎ足したものにすぎない。
LLMの出力がAPIに渡され、結果がLLMへ戻り、また出力する。このループが繰り返されているだけだ。一連の動きは、あたかも人間がプロトコルに従って作業を進めているように見える。だが、そこにあるのは意思ではない。入出力がつながっているだけである。
耳の聞こえないピアニストに、手足が生えても
LLMは、生まれつき耳の聞こえないピアニストに似ている。楽譜データから「次に押すべき鍵盤」を高精度で導き出すが、音の意味は分かっていない。
それでも演奏は聴衆を感動させる。意味を見出そうとする人間の脳が、無機質な出力に知性を読み込んでしまうからだ。
AIエージェントは、このピアニストに手足を与えたようなものだ。手足は無機質にLLMの出力を動作へ翻訳するだけで、『ピアニストが音を聞けるようになったわけではない』ということだ。
変わったのは「配線の数」であって「賢さ」ではない
AIエージェント化の前後で、実際に変わったものと変わっていないものを整理すると次のようになる。
- 変わったもの:LLMの出力を現実世界の動作へつなぐ配線の数
- 変わらないもの:推論エンジンそのものの賢さ、言葉の意味を理解しているかどうか
推論エンジンは変わっていない。変わったのは、その出力を現実世界へつなぐ配線の数だけである。
エージェント導入の是非を判断する前に、何が変わり、何が変わっていないかを、まず切り分けておきたい。